天理の石 2部・3部構想

第二部「故淵の意」

第二部は、還れずにいるものを、還す話です。

第一部から一年後。楊文は弟子たちを迎え、白澗観の再建を進めています。
一方、各地では弔いが禁じられ、集められた骸が「眠らない軍勢」として利用されていました。
異変を追って戻ってきた沈曉とともに、楊文は死者を縛る術の正体を探り始めます。

物語の中心にあるのは、「名を呼ぶこと」です。名を奪われ、帰る場所を失った死者たちに、もう一度その人の名を返す。沈曉が術を解き、楊文が名を呼ぶことで、止められていた巡りを動かしていきます。

同時にこれは、死者だけでなく、三十年以上ひとつの想いに囚われてきた者を解き放つ物語でもあります。
二部には無憂という人が出てきます。この部は沈曉と楊文が死者を解放していく話であるとともに、無憂がもう一人の主人公です。
沈曉と楊文の関係も、旅の同行者から、同じ場所で暮らす者へ。互いの不在を知った二人の想いが、少しずつ形を持ち始めます。

第三部「晦朔の祀」

第三部は、天理を破った代償を引き受ける話です。

天下に天災が続き、朝廷は失われた祭祀を再興しようとします。しかし、正しい祭の作法を伝えていた玉雲観はすでになく、その知識を持つ者も残されていません。ただ一人、すべてを知る沈曉だけは、大罪人であるため本物だと名乗ることができません。

楊文は祭への協力と引き換えに、弔いの禁令を解かせようとします。(これは2部から引き継がれた設定で、変更するかもしれません。禁令については考え中)
二人は都へ入り、散逸した祭器や儀軌を探しながら、失われた祈りを組み直していきます。その過程で沈曉は、かつて自ら断ち切った知識を、今度は楊文へ少しずつ託していくことになります。

物語の中心となるのは、「名」「継承」「祈り」です。名を隠してきた男が、誰かに名を与える。教えなかったことを悔いてきた男が、今度は自ら教える。
ですが、沈曉は弟子はとるつもりはなく、楊文も沈曉の弟子ではありません。
1部で沈曉が江湖を彷徨っていたのは、自分の知識の片づけ方に迷いがあったからです。本当に知識を絶やしたいのであれば、自死する方法もあった。
3部において、楊文は彼にとって信用ができる相手です。10年間人を避けて生きてきた彼にとって、こんなに同じ時間を過ごした人はいません。だから、彼に教え託すことにしました。

二人の関係も、この第三部で恋愛として動き始めます。ただし、楊文はすでに自分の想いを知っている一方、沈曉にはそれを言い表す言葉がありません。教えること、名を与えること、何かを託すことが、そのまま彼の想いの表現になっていきます。

天の理は巡り、すべてはあるべき場所へ還る。

それが、第二部から第三部を貫く大きな構想です。

これが恋愛になるのかはわかりませんが、愛を書くまでに長く時間がかかりました。
1部の校正が終わったら仕事の合間にでも書きます。
沈曉が道士という設定なので、道教思想についてすこし調べながらそのフレーバーを取り入れて書いていますが、やっぱり身の回りにない文化はわからないし、実態がつかめない。

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